サピエンス全史 ⑥社会秩序安定のために使われた「宗教」

どうも、メケです。

 

上巻をまとめるとこんな感じでした。

ホモ属のサピエンスはある時、虚構を語り信じる力を遺伝子の突然変異で獲得した。東アフリカの片隅から全世界へ進出し始めた。見ず知らずの人同士で協力できるようになった。そして他のホモ属を駆逐していった。そして、新大陸オーストラリア、南北アメリカ大陸に進出し、身体の遺伝的特徴を変えることなく、技術進歩のみで地球の南北隅々まで短期間で進出した。これはどの動物にも類を見ないできごと。これを認知革命という。

 

農業革命とは狩猟採集生活から農業へ移行することによって余剰生産がうまれ、社会秩序(ヒエラルキー)が誕生した。そして、様々な部族を吸収再編し巨大な帝国(大きな集団)ができあがっていった。書記体系が生まれた。貨幣通貨が生まれた。帝国によってさまざまな部族を侵略し政治的傘下へ組み込み文化を融合させ歴史が生まれた。

 

いまや通貨は世界の隅々までいきわたり、全世界の殆どが同じ書記体系を使い、経済活動においては国境の壁は薄くなりつつある。流れは世界統一に向かっているのではないかといった内容でした。

 

前話のリンクです。

サピエンス全史 ⑤世界最強の征服者ー貨幣、帝国から世界統一へ

 

ココからが下巻です。

下巻は冒頭から「宗教」です。内容は少しボリューミー。そして「イデオロギー」にまで話は進みます。

「宗教」は私自身あまり興味のなかった分野です。下巻になってサピエンス全史「急に読む気を失ったという人たちが続出した」というのもわからんでもないです。その萎える気持ちわかります。

 

しかし、著者ハラリはこの「宗教」にかなりのページを割いています。おそらくハラリとしてはかなりな重要箇所なんでしょう。なので私も頑張ってアウトプットがてらまとめつつ、レビュー書きました。

まとめてみるとワリとおもしろかったです。読むのが面倒な方のために軽く要約しときます。

 

目次

軽く要約 「宗教」

狩猟採集時代は自然信仰(アニミズム信仰)で多神教の一つだった。農業革命の初期も同じ。信仰は局地的で排他的であった。人が家畜化や栽培化をする中でこれら動植物への「支配力」を求めるようになった。そしてその「力=支配力」を神々に求めるようになったのが宗教の始まり。

各地で信仰のあった多神教の中から一部のキリスト教やイスラム教などの一神教が宣教活動によって普遍的な宗教に台頭した。帝国が拡大化する中で交流圏も拡大した。国の求める「支配力」も拡大した。「想像上の社会秩序」は社会が拡大するとより脆くなる。そのため社会秩序を安定維持するのに「宗教=一神教」が使われるようになった。拡大化する帝国の社会秩序安定に宗教がその土台となった。

農業革命=宗教革命

そして直近300年間では宗教に代わり、イデオロギーが「想像上の社会秩序」を安定させるのに使われた。

といった内容です。

 

こうして世界統一に重要な役割を果たした三大柱「帝国」「貨幣」「宗教」がここで一段落する訳です。

社会秩序やヒエラルキーは想像上のもの。すべて「虚構」で話がつながるところは著者ハラリ、すごいところに目をつけたなと思います。

 

にしても要約だけだとやっぱり「薄い感じ」は否めませんね。

興味のある方は本文お付き合いよろしくお願いします。

 

宗教

この本の著者ユヴァル・ノア・ハラリは農業革命以降の世界統一には「三本柱がある」といっています。上巻では「貨幣」、「帝国」、そして下巻の冒頭で世界統一の三本柱の3つ目に「宗教」だと言っています。

 

宗教は社会秩序安定のために使われてきた

著者ハラリがいうには、社会が大きくなればなるほど、社会秩序とヒエラルキーは更にもろくなる。なぜならそれは「想像上のもの」だから。社会の安定を保障させるためには絶対的なもの「宗教」が必要だった。宗教が超人間的な正当性を与えてきてくれたんだと。

→これが現記事「宗教」の一番「要」なところですね。今振り返ると。社会安定のために「宗教」が使われてきた、ということみたいです。

→その理由が、社会秩序やヒエラルキーは想像上のものだから。

→つまりは虚構だからということ。虚構だから社会が大きくなるほど脆くなりやすかったんだね。

 

宣教によって普遍的な宗教へ 農業革命=宗教革命とともに

古代宗教の大半は局地的で排他的だった。全人類を改宗させる意図は持っていなかった。紀元前1000年頃から今のような「宣教」する宗教になっていった。このできごとが歴史上屈指の革命的できごと。普遍的な貨幣、普遍的な帝国の出現と時を同じくして「宗教の宣教活動」が人類統一に不可欠な貢献をしたとのこと。

→これを著者ハラリはこれを「宗教革命」といっています。農業革命は宗教革命とともにあるともいっていますよ。宗教は世界統一には重要な要素だったんですね。

 

世界統一の土台となった宣教活動 一神教だったから?

→なぜ突然「宣教」するようになったのか。ここのところ何回読んでもよくわかりませんでした。

一神教は多神教の中からたくさん生まれてきた。そのなかのいくつか(キリスト教やイスラム教)が突然「宣教活動」を熱心にし始めた。宣教活動によって普遍的になり宗教が国教となり世界統一の土台となった。

 

→そこまではわかるのですが、なぜ突然「宣教」だったのか。ココのところがよくわからなかったです。

→サピエンス全史上巻では「サピエンスがなぜ虚構を突然話し、信じるようになったのか」が「突然変異」とされています。この「突然の宣教活動」も「突然変異」の話とにているようですが、今ひとつよくわかりませんでした。

 

→ボクなりの解釈でいくと、一神教は他の神々を受け入れられない。だから他の神々を排除せざるを得なかった。だから宣教していったのかなと。本書を読むとどうもそんなような感じでした。なのでキリスト教やイスラム教が出現してなかったとしても、いづれ他の宗教がいつかは「宣教活動」を行い、世界統一の土台となったのかもしれないですね。

 

→キリスト教もイスラム教も最初は世界の片隅で産声をあげた、どこにでもあるただの一神教だったらしいですよ。これって、昔ホモ・サピエンスが東アフリカの片隅で「虚構を語る能力を手に入れた時」と似てますよね。そこからホモ・サピエンスの世界進出が始まったのと同じように「宣教活動」によって世界進出が始まった。

 

宗教=戦争のイメージ 一神教だったから?

→正直、私宗教は苦手でした。

→なぜなら「キリスト教」「イスラム教」は「戦争」のイメージがあり、「心の救いとする宗教」でなぜ戦争をするのか。ここのところが私自身理解できてなかったからです。

→なぜ戦争するのか。それはハラリがいうには、「キリスト教」「イスラム教」は一神教だから。

→神様が唯一無二の一つだけ。つまりは他の神様を受け入れることができなかったから。自分の所の神様が絶対的だから他の神様は排除せざるを得なかった。だから戦争してでも改宗させると・・・。

→ここの所なるほどと思ったよ。カトリックとプロテスタントの宗教戦争は神の定義のわずかな違いをも認めることができなかったんだろうね。一神教だけに互いに受け入れられず戦争になってしまった。ココのところ本書にはないですがボクなりの解釈です。

 

農業革命と宗教革命

動植物を支配するために神々を使い始めた

農業革命によって人類は動植物をコントロールするようになり始めた。

→家畜化とか栽培化のことですね。

 

農民たちは自分たちの飼っているヒツジたちを支配(コントロール)するには「支配力」が足りないと感じていた。なぜなら自分たちの望むようにヒツジたちを妊娠させられなかったから。致命的な流行病の発生を抑えることもできなかったから。

→これら問題の解決策が神々の起源らしい。神々の主な役割はこれら口のきけない動植物たちと人間の間を取り持つ役割だった。

 

実は古代の神話の多くは「法的な契約」で動植物の支配(コントロール)権と引き換えに神々への永遠の献身を約束するものだった。

例えば人間がヒツジたちを生贄にし、ぶどう酒とパンを神聖な神々に捧げることが主体で、神々は豊作と家畜の多産を約束したのだと。

 

地元の精霊たち 自然信仰(アニミズム信仰)多神教の一つでもある

農業革命の頃、これら彼らの必要な要求は「地元の精霊たち」でことが足りた。

→いわゆる自然信仰(アニミズム信奉)ってやつです。

 

交流圏の拡大により「支配圏」も拡大していった 一神教

しかし、国交や交易ネットワークの拡大に伴って「交易圏全体」に「支配力(コントロール)」を及ぼさなくてはならなくなった。

→そう「支配力」のために最初は地元の精霊たちだったのが、国が大きくなり交流圏が大きくなるにつれてより大きな「支配力」が必要になったということ。つまり宗教革命は「法的な支配圏」の拡大と見ることができる。

→ココのところ、なるほどと思ったよ。

  

多神教

全宇宙を支配する単一の神的存在や法の存在に、必ずしも異議を唱えるわけでもなく、それどころかほとんどの多神教に加えて、アニミズム(自然)信仰さえもが様々な神や魔物の聖なる岩など、全ての背後にある、そのような思考の神的存在を認めていた。

 

→つまり多神教とはアメニズム(自然)信仰や一神教の神、多神教の神々、その他の神的存在までも認めていたということだ。

→例えば古代ギリシアの多神教、ヒンズー教の多神教など。

 

多神教と一神教、何が違うのか?

→自分たちの信仰する唯一無二の絶対神以外の神を、受け入れられるかどうかの違いらしい。

一神教は他の神を受け入れられない。多神教は一神教の神でさえも受け入れられる。

 

多神教は世界を支配する至高の神的存在には関心や偏見を欠いている。つまりは人間のありきたりの欲望や不安、心配には無頓着であるということ。つまりは、敗北や貧困、病気、、死さえ受け入れるのだ。

ヒンズー教ではアートマンと一体化し、悟りを得るために人生を捧げる。しかしヒンズー教徒のほとんどは日常的な関心ごとにどっぷり浸かっており、そこではアートマンはろくに役に立たない。

だから一般市民はそうした問題から助けてもらうために限られた力を持つ神々に近づく。それがガネーシャやラクシュミー、サラスヴァスティーといった神々。

 

力の限られた多数の神々を信じているのである。神の信奉者が他の神々の存在や効力を受け入れるのはわけもない。だから、多神教は本来、異端者や異教徒を迫害することは滅多にない。

→多神教は懐が深い!

 

 

一神教であったキリスト教徒はローマ帝国の多神教を拒んだ

ローマ帝国は帝国内のキリスト教徒たちにキリスト教をやめろとは言わなかったが、帝国の守護神たちや皇帝の神性(政治的忠誠心)を尊重することを求めた。

しかし、キリスト教徒たちはこれを猛然と拒否し、帝国によるありとあらゆる妥協の試みを退けた。

キリスト教徒たちはローマ帝国にとって危険な派閥と捉えられ、ローマ人によって迫害された。とはいえ殺害されたキリスト教徒の数は約300年間で数千人止まりだった。

 

キリスト教徒同士の戦争を見れば多神教ローマ帝国がいかにキリスト教徒にも懐が深かったかがよくわかる

→16世紀と17世紀にヨーロッパ中猛威を振るったカトリック教徒とプロテスタントとの宗教戦争は何十万という死者を出したらしい。それに比べれば多神教のローマ人が迫害したキリスト教徒は、300年間で数千人止まり。

→多神教ローマ帝国は、一神教キリスト教徒に「いうほど本気ではなかった」ということがわかる。

 

→キリスト教徒同士のもっとひどい殺し合い話がある。1572年8月23日のフランスのカトリック教徒が行った、聖マルトロマイの大虐殺なんかはもっとすごいぞ。たった一晩でフランスのカトリック教徒が5000〜1万人のプロテスタントを殺害した。しかも、その当時のローマ教皇が画家に命じてバチカン宮殿の一室を大虐殺のフレスコ画で飾ってるらしい。残念ながら、ここの部屋は観光客は立ち入り禁止になって見学することができないらしい。

→マジでキリスト教徒のカトリック教徒とプロテスタントの争いは恐ろしい。僕にとって宗教は戦争のイメージしかないのはこういったのが印象にあるのかもしれない。

 

 

神は一つ

実は多神教の信者の一部から一神教が生まれた。うちの神こそが唯一の神で、実は宇宙の至高の神的存在であると信じ始めたのが一神教の始まり。

一神教の信者たちは病気から快復したり、クジで当たったり戦争で勝ったりできるよう宇宙の至高の神的存在に嘆願した。

 

最初の一神教は、局地的一神教の段階(宣教活動のなかった時代)

紀元前1350年エジプトで出現。アテン崇拝を国教とした。

→実は一神教は世界各地で多神教の中から生まれた。

→しかし、宣教活動を行わなかったので、普遍的なものにはならなかった。

 

一神教の大躍進、キリスト教の成功

キリスト教と共に起こった。

ナザレのイエスが待望の救世主であるとユダヤ人を説得しようとした。ユダヤ教の小さな宗派が始めた。この宗派の初期の指導者パウロが全人類に向けて宣教活動を組織し始めた。史上屈指の不思議な展開によってユダヤ教の小さな宗派は強大なローマ帝国を支配することとなった。

 

→なんとあの多神教ローマ帝国が、キリスト教徒の宣教活動によってローマ帝国の国教がキリスト教になってしまったのだ。宣教活動のパワーすごい。

 

→世界各地で発生した多神教からの一神教、世界を席巻するのに圧倒的違いは、宣教活動の有無だったようだね。

 

キリスト教を手本にしたイスラム教

イスラム教は7世紀にアラビア半島で出現した一神教。

イスラム教もキリスト教と同じく、世界の片隅で小さな宗派として始まったが、不思議で素早い意外な展開によってアラビアの砂漠を抜け出して、大西洋からインドにまで広がる巨大な定額を征服した。それ以降一神教の考え方は世界史の中で主要な役割を演じてきた。

→へーな話である。やっぱりこれも宣教活動!

 

キリスト教は一神教だったから世界に広まった

一世紀初頭には世界には一神教信者はほとんどいなかった。西暦500年頃にはローマ帝国は、なんとキリスト教国家になっていた。そして宣教師たちはヨーロッパや他の地域アジア、アフリカへせっせとキリスト教を広めていった。

西暦1000年が終わる頃には、ヨーロッパや西アジア北アフリカの人のほとんどは一神共信者で大西洋からヒマラヤ山脈までの範囲に収まる帝国はみな自国が単一の偉大な絶対神によって定められたものとしていた。

 

16世紀初頭には一神教はアジアアフリカ南部を除くの大半を支配下に収めた。そして南アフリカ南北アメリカオセアニアへと進出していた。

→早い話、東アジア以外の国は何かしらの一神教を信仰しており、グローバルな政治秩序は一神教の土台の上に築かれているんだとさ。

 

→これだけキリスト教が広まったのは、他の神を受け入れられないということと、熱心な宣教活動の結果だろうな。

→このことを著者ハラリは「宗教革命」と呼んでいるのね。農業革命とセットで起きたのが宗教革命ということなのか。

 

一神教の弱点  秩序から善悪まですべてを説明できない

一神教は秩序を説明できるが「悪」に当惑してしまう。これを補うのが二元論。しかし二元論は悪を説明できるが「秩序」に悩んでしまう。

 

→実のところ一神教や二元論、多神教、アニミズムの遺産が単一の神聖な傘下で入り乱れている万華鏡のようなものになっているらしい。

 

人は互いに矛盾するものを同時に信仰できる

→神あるいはそれ以外の超自然的存在に対する信仰に焦点を当てていること。全て一神教一色ってわけじゃないってことなんだね。

→これは言ってみれば仏教徒がヒンズー教の神々を崇拝できたり、一神教信者が悪魔の存在を信じられたり、ごちゃごちゃに一色たんに同時に信仰されているということ。矛盾するものを人は同時に信仰できるということ。

 

これ(矛盾するものを同時に信仰していること)を著者ハラリは混合主義と言っている。

 

 

宗教が重要性を失ってくる直近300年間

直近300年間は宗教が次第に重要性を失っていく。

→だよね。あんまり宗教宗教してない。最近は・・・。どう見ても。

 

イデオロギーの台頭

→近代では自由主義、共産主義、資本主義、国民主義、ナチズムなど、自然法則の新宗教が多数台頭してきた。主義=宗教と言っていいだろう、とハラリはいっている。

 

→ハラリがいうには仏教や共産主義(もイデオロギー)も宗教と同じだと言っている。なぜなら、どちらも超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範と価値観の体系だから。

 

→たしかにそう言われればそうだなとは思う。イデオロギーも虚構(人間の作り出した想像上のもの)だよなと思った。そういう意味ではイデオロギーも宗教だわ。そしてそれらイデオロギーが宗教に取って代わってきたのが直近300年間らしい。

 

→つまりは今度は「イデオロギーが社会秩序安定のために使われ始めた」ということなるんだね。

 

近代の新しい信念

こちらも一神教や仏教に劣らず「混合主義」、人は互いに矛盾するものを同時に信仰しているとのこと。

 

たとえばアメリカ

アメリカ人は典型的な国民主義者であり、自由市場主義の資本主義者でもあり、自由主義の人間至上主義者でもある、とハラリはいっている。

アメリカ人は国民自身が我々は歴史の中で果たすべき特別な役割を持っている(国民主義者)と信じているし、自由競争と私利の追求こそが繁栄する社会を築く最善の方法(資本主義者)だと信じているし、人間は他人から奪うことのできない権利を創造主から授かっているの(人間至上主義者)だ、ということらしい。

→なるほど。こうしてみるとイデオロギーも宗教だね。社会秩序安定に役立っているよ。まさに虚構を信じる力のなせる技だね。ホモ・サピエンススゴし! 

 

国民主義と資本主義については以降の記事になりそうです。

 

たとえば人間至上主義

ホモサピエンスを崇拝する。ホモサピエンスの存在は世界で最も重要なもの。その残りの他のありとあらゆるもの(自然や動植物)はホモ・サピエンスに次ぐ。

 

有神論宗教は神の崇拝に焦点を当てるが人間至上主義(宗教)はホモサピエンスに焦点を当てている。

 

人間至上主義宗教の3つの宗派

これはキリスト教の宗派が厳密な神の定義を巡って争ったのと同じだとハラリはいっている。

→なるほど・・・。第二次世界大戦(ナチス)や戦後のベトナム戦争、アフガニスタン侵攻、朝鮮戦争。その後冷戦もあったしね。

→カトリックとプロテスタントの宗教戦争と一緒だね。

 

・自由主義の人間至上主義

 個人の自由を重んじて人権を尊重している。犯罪者を人道的方法で処罰するなど。と同時に神の存在を否定していない。

 

・社会主義的人間至上主義

 ホモ・サピエンスという種全体を神聖なものとしている。全人類の平等を求める。一神教を土台にしている(魂は神の前に平等)。

 

・進化論的人間至上主義(ナチス)

 一神教と縁を切っている。人類の中で超人に進化したのが・・・。人類を退化から守るのが使命。ナチスによればホモ・サピエンスはすでにいくつかの別個の人種に分かれており、最も優れているのはアーリア人種。ユダヤ人や黒人は現代のネアンデルタール人であり劣った性質を持っているとした。彼らは全人類の質を落としホモ・サピエンスに絶滅を運命づけると考えていた。

 ヒトラーは第二次世界大戦を始めた時、「私たち」と「彼ら」を明確に区分した。この人種差別(白人至上主義)は第二次大戦後1960年代までアメリカではこのイデオロギー(白人至上主義)が主流であり続けた。生命科学の研究結果よりも社会や政治の展開のほうが遥かに早く強力だったんだろう。

 

まとめ

ということで本日はサピエンス全史下巻の冒頭「宗教」についてのお話でした。いい勉強にはなりました。

農業革命から社会が大きくなっていくに連れて、社会秩序を安定させるために「宗教」が使われたということ。そして交流圏の拡大とともに支配(コントロール)する領域も拡大していった。社会が大きくなるほど想像上の秩序は脆くなるのでより強力な「一神教」が台頭してきて普遍的な宗教になっていった。

そして直近300年では宗教にかわってイデオロギー(何々主義)が台頭してきた、といった内容でした。

 

 

最後までお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

苦手な宗教を乗り越えられました。

 

文字数多くいまいちまとまってない感じしますが、今の時点でMax力出し切りました。

 

本日も最後まで読んでくださいましてありがとうございました。

またよろしくお願いします。

 

以下追記です。

本書とは別に自分調べも載せておきます。

豆知識です。

追記→各宗教の宗派(自分調べ)

→ちなみに世界三大宗教の宗派を自分なりに整理してみた。「キリスト教」「イスラム教」は神の守護を求めて人間に唯一絶対神への帰依を勧めるのに対して、「仏教」は人が悟りを開き「仏」になること「成仏」を勧める。「仏教は多神教」であり「キリスト教やイスラム教のような一神教」とは違うということ。

→ここも、本書ではなく自分調べです。ザクッと三大宗教の宗派をまとめときます。

ーキリスト教ー3宗派

「カトリック」=西、ローマ教皇、牧師、十字架にイエス像、装飾品、日曜日にミサ

「プロテスタント」=西、神父、十字架のみ(像がない)、質素、礼拝

「正教会」=東、ロシア正教、ギリシア正教

キリスト教は東方正教会と西方正教会とに別れ、東方が正教会、西方が後にカトリックとプロテスタントに別れた。一時期は仲悪い時代もあったが今はまぁまぁ、同じキリスト教だよねということに落ち着いているらしいです。

 

ーイスラム教ー2宗派

「シーア派」=後継者はムハンマドと血の繋がりのあるアリーの子孫から選ぶべきだ。サウジアラビア、エジプト、シリア、ヨルダンなど多くのアラブ諸国、インドネシア、パキスタン

「スンニ派」=後継者は話し合いによって決定するべきだ。イラン、バーレン、イラク

 

ー仏教ー13宗派

日本の場合、13宗派に分かれる。

華厳宗、法相宗、律宗、真言宗、天台宗、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗、融通念仏宗、時宗、黄檗宗

 

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