サピエンス全史 ⑦科学革命

どうも、メケです。

 

前話のリンクです。

サピエンス全史 ⑥社会秩序安定のために使われた「宗教」

 

ユヴァル・ノア・ハラリは3つの革命によってホモ・サピエンスは進化してきたと言っています。その一つが今日お話する「科学革命」です。今まで話してきた認知革命、農業革命については以下のとおりです。

 

ーサピエンスの認知革命ー

約7万年前にサピエンスが虚構を語り信じる力を獲得した。そして全世界を席巻した。認知革命とは虚構を語る能力の獲得のこと。これによって集団数に上限がなくなり、同じホモ属の他の種を圧倒できるようになった。そして遺伝的特徴の変化を待たずして工夫と技術の進歩のみで短期間で地球上のあらゆる地域に進出した。そして圧倒的短期間にあらゆる動植物の生態系までも変えていった。他の動植物には全く見られない、この世界を席巻した短期間のできごとをサピエンスの認知革命という。

虚構とは「人の噂話、神、神話、宗教、帝国、貨幣、資本主義、消費主義」などのことをいう。

 

ー農業革命ー

そしてサピエンスは狩猟採集生活から農耕牧畜生活に移行した。狭い土地に密集して暮らすようになった。余剰生産が生まれた。社会秩序(ヒエラルキー)が誕生した。そして、様々な部族を吸収再編し巨大な帝国(大きな集団)ができあがっていった。書記体系、貨幣通貨が生まれた。帝国によってさまざまな部族を侵略し政治的傘下へ組み込み文化を融合させ歴史が生まれた。大きくなった帝国は社会秩序、ヒエラルキーを維持するのに宗教を使うようになった。多神教の中から一神教が生まれキリスト教、イスラム教が帝国の拡大とともに台頭してきた。近代300年間では宗教が影を潜めそれにかわって社会秩序維持のためにイデオロギーが台頭してきた。

  

そして本日の記事ー科学革命ーです。

ー科学革命ー

「科学革命」=「無知の認知」

ハラリが言うには、近代500年前後で決定的に違うこと、それは「森羅万象に対する認知の仕方が変わった」そうです。

現代では集団全体で重要な事柄に関して「無知」を認めている。この「無知の認知」が近代以前と全く異なる考え方であり、この「無知の認知」がなければ、ここまで科学テクノロジーは発達してこなかっただろうと著者ハラリはいっています。

→つまりは科学革命とは「無知の認知」が根底に有り、その認識に気づいたことが革命的できごとだと。この記事「科学革命」での一番大切なポイントだと私は受け取りました。

→しかし、こんな「無知の認知」が革命的できごとだなんて、昔の学校の世界史の授業で教わった記憶はないなぁ。コロンブスの(空白域のある世界地図が出てきた)頃に「こういう認識の仕方に違いが出てきたんだよ」とは教わらなかったです。こういうハラリの視点は斬新だなと思いました。

 

コロンブスの新大陸発見以降の植民地化、その土地を調査して新しい知識の習得、研究し新しい技術を開発し、科学テクノロジーが大きく発展した。現代の科学テクノロジーの恩恵は、近代のヨーロッパ帝国資本主義が科学に豊富な資金を注入し、帝国と科学が融合し、強力なタービンとなって科学革命を牽引してきた。しかし一方ではその犠牲となった新大陸の先住民たちもいた。

 

現代では科学技術によって、貧困や病気、戦争、飢餓、老齢、死そのものさえもが人類の避けようもない運命ではなくなったとハラリは言う。科学による恩恵を受けていると・・・。

そしてこの科学による恩恵のことを科学革命というようです。

 

近代以前の考え方「重要なことがらはすでに人類は知っている」

近代以前は、わからないことは経典や近所の知識者に聞けばいいとされていた。重要なことがらは全てそれらに載っている。それでも分からないコトはそこまでは重要なことではないとされていたらしいです。

→おそらくココの考え方が決定的に近代と違うのでしょう。

 

例えば近代以前は蜘蛛(クモ)がどうやって巣を作るのか知りたかったら、経典を調べたり聖職者に尋ねればいいが、そんなことはどこにも書いてないし教えてももらえなかった。つまりそれは「大して重要でないことがら」ということで片付けられていたらしい。

→「我々はクモの巣の張り方を知らない」、「それがどうした? 別に重要なことではないだろう!」といった感じだったようです。

→今の自分達の社会を考えてみれば、研究により新しい証拠が出てくれば、以前まで定説とされていたことが簡単にひっくり返ってしまいます。そして今我々がこうだと思っていることも今後研究によって覆さることも有り得ると普通に思っています。近代以前の社会ではこういう考え方を社会全体でしていなかったらしいです。

 

 

近代以降の考え方「我々は何も知らない」ということを社会全体で認め始めた

その良い証拠をハラリは提示しています。

→世界地図です。

→近代以前の世界地図には世界地図の全域隅々にまで地名など書かれていましたが、近代になってからは世界地図に「空白域」がたくさん載せられてたそうです。まさにこのことが「社会全体で無知を認めていた証拠」になるとのことです。ちょうどこれは15~16世紀にかけての頃。

 

社会全体が無知を認め始めた実例で、おもしろい話があります。

空白の地図の話です。 

いまだ中世の人だったコロンブス バハマ諸島の人々をインド諸島の人々「インディアンだ!」と信じ続けた

→クリストファーコロンブスが探検に出かける頃(約10年足らず)のできごとが、「無知を認めた」決定的転機になったそうです。

コロンブスの時代はまだ空白のない地図が正しいとされていた時代でした。コロンブスはスペインから東アジアへの新しい航路を探して西に向かっていました。1492年10月12日の午後、現在のバハマ諸島の中の島々の一つを、東アジアの沖にある島々の一つに上陸したと思っていました。そこで出会った人々を「インディアン」と名付けたのです。そしてコロンブスは死ぬまでそう信じていたそうです。コロンブスの勘違いは、「無知を自覚していなかった一つのいい例だ」と言っています。コロンブスは未だ中世の人だったのだと。

 

→なるほど、それでアメリカ先住民をインディアンと呼ぶのね。コロンブスはインドネシアの原住民だと思いこんで彼らを「インディアン」と呼んだわけだ。そうそう、そういうことは学校の授業で習ったよ。覚えている。

 

でも、アメリカがなぜアメリカと呼ばれているのかは知らなかった↓

無知を認めた最初の近代の人 アメリゴ・ヴェスブッチ これは未知の大陸、新大陸だ!

アメリゴ・ヴェスブッチは1499~1504年にかけて数回アメリカの探検にでかけていた。ヴェスブッチはこの探検のできごとを書籍にして刊行した。このときにコロンブスの発見した島は東アジアの島(インドネシア)ではなく、未だ誰も知ることのなかった「未知の大陸」であるとしていた。

そしてそれを元に世界地図が刊行された。この未知の大陸をアメリゴ・ヴェズブッチの名にちなんで「アメリカ大陸」と名付けられた。

→地図ではアメリカの東海岸線は描かれているがそれより西は全くの空白の地図。探検家にとってはこの空白地帯に何があるのか調べずにはいられないよね。

→残念ながら最初に上陸したのはコロンブスだったのに・・・。みんなからは「アメリゴ」がその大陸を発見したんだと思われていた。

→こういう経緯でアメリカ大陸と名付けられたのは知らなかった。こうして南北の巨大大陸が、ほとんど無名のイタリア人にちなんでアメリカ大陸と名付けられたなんて驚きだ。

 

科学と帝国が融合して科学は発展してきた

科学にはお金がかかる。なぜ莫大なお金が政府や企業の金庫から研究室や大学へと流れ始めたのか?

それは何らかの政治的経済的、宗教的目標を達成するのに科学研究が役立つと誰か考えていたから。

 

帝国と資本の間のフィードバックループは過去500年にわたって歴史を動かす最大のエンジンだった。

科学と帝国という2つのタービンが資本主義の資金ポンプにどのようにつながれたか。

 

コペルニクスの地動説を裏付けるための現地観測に大量の資金

近代前期、コペルニクスは地動説を唱えた。地球ではなく、太陽が宇宙の中心に位置していると主張した。

天文学者たちは太陽と地球の距離を正確に測ろうと、できるだけ多くの遠隔地点からその日面通過を観測するため、ヨーロッパ各地に遠征した。

王位協会は優秀な天文学者チャールズグリーンをタヒチ島まで派遣することにし、労金もお金も惜しみなく注ぎ込んだ。そしてそこに植物学者ジョセフバンクスとダニエルソランダーが率いるいくつかの学問分野の科学者8人からなるチームが同行した。そしてそこには必ず出会うであろうはずの新しい土地は動植物や人々の絵を描く画家も同行した。そしてその一行には最も進んだ科学機器を積み込み、経験豊富な船乗りたちに加えて、地理や民族子にも通じたジェームズクック船長がそれを指揮した。どうだろう? この遠征だけを見て取ってもどれだけ高額のお金をつぎ込まれたことか。

 

→帝国の富裕層が金を投じるだけの価値があるとみたんだろうね。科学と資本が完全にマッチングしている。「知ることが力となる」このことを上層部は知っていたのだろう。

 

クックの遠征の恩恵を受けた分野のひとつが医学、そして軍事にも予期せず貢献

壊血病の効果的な治療法の発見である。

当時、船乗りの間では壊血病という不可思議な病気が流行ることがあったそうな。死者が多数出て船員たちを悩ませていた。

→現代では有名なビタミン C 不足。

ジェームズクックはリンドの実験の正しさを証明するために船に多量のザワークラウトを積み込み、寄港して上陸した時はいつでも新鮮な果物と野菜をたっぷり食べるよう水夫たちに命じた。そして以降船乗りたちは壊血病で、命を落とすことはなくなった。

→コロンブスが大航海で実際に実験をして論文の裏付けをとったんだね。この事によって以降の大航海で大量に死者を出すことがなくなった。つまりはイギリスが世界の海を支配することができたってこと。その事によっていろんな遠征で多くの政治や軍事に価値のある天文学、地理学、人類学、気象学に関するデータを手に入れることができたそうな。

 

 

クックの遠征は大惨事の始まりでもあった

クックは自分が発見した島々や陸地の多くをイギリス領とした。オーストラリア、タスマニア、ニュージーランドを植民地化した。新たな植民地への何百万ものヨーロッパ人の入職先住民の文化の根絶や先住民の大多数の残殺殺戮の出発点となった。

クックの遠征に続く、100年間でオーストラリアとニュージーランドの最も肥沃な土地がヨーロッパからの入植者によって先住民から奪われた。クックの遠征は大惨事の始まりで、彼らは今もなお。それから立ち直れずにいる。生き残った人々も過酷な人種的迫害にさらされた。先住民の人口は最大で9割も減少した。

 

→科学革命とともに悲劇はまた再現されたんだね。ホモ属のサピエンスが認知革命によって行った自然破壊(動植物の大量絶滅)と同じだね。サピエンスは他のホモ属を駆逐してユーラシア全土を席巻し、続いて進出した南北アメリカ大陸、ニュージーランド、オーストラリア大陸では動植物の多数を絶滅に追いやったときと同じだ。

→科学革命という影で、世界の海を支配できるようになったイギリスを始めヨーロッパの人々は新大陸の先住民たちやその文化を消滅に追いやったんだね。とても悲しい話だ。

→正直このことは許しがたいことだと個人的には思う。しかしその当時は大罪だとは思わなかったんだろうね。恐ろしい話だよ。

 

タスマニアの先住民たちの悲惨な運命

クックに発見されるまでタスマニアの先住民たちは1万年間見事に孤立して生き延びきた。しかし、発見後約100年間で跡形もなく先住民たちは消し去られた。ヨーロッパの入植者達によって組織的に先住民を殲滅に追いやったらしい。

悲しいかな最後のタスマニア人たちは科学の名のもとに人類学者や博物館長たちに奪取され、博物館に晒された。最終的にはイングランド多い外科医師会が彼女の皮膚と毛髪のサンプルを返還したが、それは2002年だった。

→これは実に悲しい出来事である。こんな惨事があったなんて学校の世界史では習わなかったぞ。

 

科学革命で世界を席巻したのは、なぜヨーロッパたったのか? アジア列強が見向きもしなかったから

世界史で脇役だった中世のヨーロッパ

北大西洋の大きな島からやってきた人々がオーストラリアの南の大きな島を征服した。という事実は歴史上の奇想天外な出来事の一つだ。

→へー。僕は世界史に疎いから、この科学革命に絡む歴史の話は全体の流れがつかみやすくてよかったよ。中世までは世界の中心はヨーロッパじゃなかったんだね。クック遠征以前はヨーロッパは世界の主流から取り残された辺境の地だったのね。

 

近代以前のヨーロッパの唯一の重要な帝国であるローマ帝国でさえ、その富のほとんどを北アフリカやバルカン半島や中東の属州から得ていた。

→なるほど。

 

ローマ帝国のヨーロッパ西部の属州は鉱物と奴隷以外、何も与えてはくれないに等しい、貧しい辺境だった。ヨーロッパ北部にいたってはあまりに不毛な未開拓地だったので遠征する価値さえなかった。

→へー。知らなかった。中世以前はヨーロッパはマジで世界史の脇役だったのか。

 

ヨーロッパがようやくアジアの列強に追いつき始めたとき

15世紀末にヨーロッパがアジア列強になんとか追いついた。

1500~1750年までの間にヨーロッパは南北アメリカ大陸と諸大洋を征服した。でもまだ、アジア列強と肩を並べた程度。

→アジア列強って地中海地方のオスマン帝国、ペルシアのサファヴィー帝国、インドの厶ガル帝国、中国の明朝と清朝などのこと。アジアは世界経済の8割を担ってたんだって。中世のアジア、スゴ。

→ヨーロッパ経済は2割もなかったってこと。アジア列強は(軍事、政治、経済、文化の発展度合いが)スゴかったかがよく分かるよね。

→おもしろいよねー。ヨーロッパが次々と新大陸を植民地化していってたのに、アジアの列強諸国は見向きもしなかったんだね。そんなコト世界史の歴史では習わなかったよ。

 

ヨーロッパが世界の権力を握り始めたとき

1750~1850年にかけてヨーロッパ人が相次ぐ戦争でアジア列強を征服した。

1900年までにはヨーロッパは世界領土の大部分を支配し、世界経済の中心になっていた。

→中国は世界経済のわずか2%にまで減少していたんだって。これも怖い話。中国はヨーロッパによってバラバラにされたこともあるしね。これもまた酷い話だよ。

 

 

ヨーロッパの支配下で、新たな世界の秩序と文化が生まれた。

現在では人類全体が服装、思考、嗜好の多くがヨーロッパに習っている。政治、医学、戦争、経済はヨーロッパ的な目を通してみている。歌はヨーロッパの言語で作詞され、ヨーロッパ風に作曲された音楽を我々は聴いているのだと。

→なるほど今はヨーロッパ的な世界秩序が色んな国のベースになっているのね。

→目下急成長中(やや失速気味ではあるもの中国国内総生産は日本の3倍、世界第2位)の中国には世界の覇権を握ってほしくはないなぁ。日本は最近まで(約40年間)していた中国へのODA(途上国支援)で中国に無償援助3兆円以上だしてるのよ。なのに中国とのこの犬猿な仲は何?って思うのよ。日本頑張って欲しい。

 

 

科学革命がなぜヨーロッパだったのか?の疑問の数々

中国の清朝、明朝、オスマン帝国(地中海沿岸)、サファヴィー帝国(ペルシア)、ムガル帝国(インド)にはなくて、ヨーロッパにあったもの。

それは西洋で何世紀もかけて形成され「成熟した価値観や神話、司法の組織、社会政治的な構造」だった。これらはすぐには模倣したり取り込んだりはできなかったらしい。

 

司法の組織や、社会政治的な構造については次回の記事にします。

 

→ココですごい話がある。

日本だけは例外的に首尾よく西洋に追いついていた。その理由は明治時代の日本人が並外れて努力を重ね、西洋の機械や装置だけでなく、「社会と政治の多くの面を西洋を手本として作り直した事実」があったからなんだと。

→日本、スゴイ!変化に強いぞ!だから日本は太古より国として続いているのだと思う。

 

ちょっと長くなりそうなので一旦切ります💦

軽く今日のまとめです

ー科学革命ー

「我々は何も知らない」という「無知の認知」森羅万象に対する認知の仕方が中世以前とかわった。

中世以前はコロンブスは自ら発見したバハマ諸島をインドネシア諸島と思い込んで原住民をインディアンと呼び、死ぬまでそれを信じ続けた(我々は知っている)。

近世ではアメリゴ・ヴェスブッチがコロンブスの発見したあの大陸は「未知の大陸アメリカ」だとして、アメリカの西半分が白紙の世界地図を刊行する(無知の認知、我々は何も知らない)。

そして「知ること」への飽くなき探求が始まった。コペルニクスの地動説を裏付けるための現地観測に大量の資金が投じられたり、ジェームズクックが壊血病の効果的な予防法を発見したり。世界探検(調査、研究)や科学技術開発が活発になった。帝国と科学が強力なダービンとなって科学革命を牽引した。医学、地学、気象学、軍事力などが科学力によって進歩した。科学力のお陰でヨーロッパは中東やアジアとの戦争に勝利し、世界の覇権を握り始めた。

その影で、クックの遠征以降、植民地化が進む中で新大陸の先住民殲滅という悲しいできごとも起こした。

なぜ、ヨーロッパが中東アジアを抑えて世界の覇権を握ることができたのか。それは西洋で何世紀もかけて形成され「成熟した価値観や神話、司法の組織、社会政治的な構造」のおかげ。そしてヨ―ロッパの新大陸発見に中東やアジア諸国は興味すら示さなかったこともある。

→ココのところもヨーロッパとの価値観の違いなんだろうなと思う。

→司法の組織や社会的な構造の違いについてざっくりと言えば、社会構造とは資本主義(経済は成長するもの、パイの奪い合いではない、将来の信用=クレジット)、司法の独立(投資のしやすさ=資金流入しやすさ、トラブったときに公正に司法でジャッジしてもらえること、司法が国に忖度し(資本家が不利になら)ないことなどです。このへんも次回記事で触れるかと思います。

 

次の記事についてさわりだけ

帝国と科学が強力なタービンになって科学革命を牽引した。その燃料となる資金の供給源は次第に帝国から商人や富裕層へ移っていった。大航海に使われたお金は税金や略奪によるものにかわって市場から調達してくるように変わっていった。

オランダなんかは市場の「信用」をうまく勝ち取り、戦争の費用さえも各国投資家たちから資金を調達して(もう市場経済が出来上がりつつあったんでしょうね)傭兵を雇ってました。←税金ではないところがスゴイです。

 

次回からは探検に投資した巨大資本の流れやそのシステム(市場経済)。またその市場経済を利用(悪用?)したヨーロッパの国々のそれぞれの栄枯盛衰についてまとめつつレビューしていきます。

特にスペイン、オランダ、フランス、イギリスがどう絡み合いながら現代に繋がってきたのかをわかりやすくまとまられたらいいなと思います。

フランスのミシシッピバブルとか、オランダ東インド会社、西インド会社(今のウォール街)などなど。

投資家の暴走、プランテーション、奴隷制度など。中国のアヘン戦争、エジプトのスエズ運河、ギリシアとオスマン帝国の戦争など、戦争までもが商品化してしまった話ぐらいまで。いけるかな。

 

 

まとめ

いやーこの本、著者ハラリさんのサピエンス全史、全体を俯瞰してくれているだけじゃなく、深層の共通点というか視点というか、知識の羅列だけじゃないからとても頭によく入ってきます。

歴史の苦手な自分にとっていい「おさらい」になります。

歴史を学び直すいい機会になってます。

 

本日も最後まで読んでくださいましてありがとうございます。

 

あと1~2回ほどでこのサピエンス全史、終わることができそうです。

読んでもいいなという方はまたお付き合いいただければ嬉しいです。

 

それではまた。

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