サピエンス全史 ③農業革命 人類史上最大の詐欺?

どうも、メケです。

 

この記事は「サピエンス全史 ユヴァル・ノア・ハラリ」 の書籍 全上下巻 の自分なりの概要をまとめ、その中で得たこと、気づき、考えたことなどを綴っていきます。

 

前記事
サピエンス全史 ① 認知革命 全大陸制覇

サピエンス全史 ② 農業革命前夜 動物界で最も破壊的な種 サピエンス

 

前記事までのおさらいを軽くしときます。

約250万年前、東アフリカで人類の祖先アウストラロピテクス属が誕生した。それからアフロ・ユーラシア大陸へ広がってそれぞれ進化していった。約10万年前には少なくとも6つの異なる種が暮らしていた。約7万年前、未だ東アフリカの片隅に暮らしていたサピエンスが虚構の言語を獲得し、東アフリカを出て、中東、アフリカ、ユーラシア全土に広がった。そして農業革命の起こる12000年前までにオーストラリア大陸、南北アメリカ大陸など、遺伝的形態的進化ではなく認知革命(虚構を話ししんじ合う力)によって地球全域へ住み着いた。

サピエンスは地球上の大型動物約200属のうち約100属を滅ぼした。動物史上、最も破壊的な種である。そしてなお現代も第三波の自然破壊は進行中である。そういった内容でした。

 

というわけで、本日は「農業革命」です。

 

農業革命と聞くと、狩猟採集時代に比べて人口の爆発などあったので良い生活をしていたような感じがしますがどうだったのでしょうか。そういったことに触れながら話を勧めてまいります。

 

農業革命の概要 

約1万年前に狩猟採集生活から農耕や牧畜に移行した。

食料増加、人口増加、富の蓄積、文化や文明の発展などが挙げられる。きっとこういったメリットの多さが人類の進歩の転換点になったので、著者は農業革命と呼んでいるのだろう。

→楽な生活、よりよい生活の探究

 

一方ではデメリットもたくさんあったとか。

農業革命は人類史上最大の詐欺とも言っている。

単一の農作物に依存せざるを得なかったことから、栄養の偏りや定住による不衛生さからの感染症の拡散、富の不平等、社会的なヒエラルキーの差別、自然破壊等が挙げられる。

 

 

ざっくりと要旨 農耕への移行

農耕への移行はトルコ南東部とイラン西部とレヴァント地方の丘陵地帯で始まった。劇的に変わったのではなくゆっくりと時間をかけて変わっていった。

ヤギが家畜化され、麦が栽培化され、エンドウ豆、レンズ豆、オリーブの木、馬、ぶどうの木、カシューナッツ、ラクダなどなど。紀元前9000年ごろまでに小麦が栽培化され、そこから順次栽培化や家畜化されていった。ゆっくりとゆっくりと農耕化が進み、紀元前3500年頃にはそのピークを過ぎていた。

 

農耕は単一の地から全世界へ広がったのではなく、同時多発的に独立した形でそれぞれ栽培化や家畜化が進んでいった。このことは学者の間では意見が一致しているとのこと。

中国は中国で、アメリカはアメリカで、アンデスはアンデスでそれぞれ農耕牧畜化が進んだらしい。

→ここんとこは「へー」な話である。

 

→アフリカから農耕が世界に広がったのかと思っていた。実はそうじゃなかった。ならば、日本の稲作は中国、朝鮮から伝わったのではなく、日本独自で稲作が進んだのかもしれない。

→私のよく見ている動画「むすび大学チャンネル 小名木善行さん」にも同じこといわれてます。

リンク貼っときます。これ結構納得する話です。

 稲作は大陸からは伝わってない

→ボクはこちら「稲作は大陸からは伝わってない」に一票入れます。日本で独自に稲作化が進んだと思っています。

 

限られた地域で家畜化栽培化が進んでいった

栽培化しやすい品種が麦、とうもろこし、じゃがいも、かぼちゃなど限られていたから。必然的にそれらを育てやすい地域(気候風土)が限定された。家畜についても同じ。

全世界の2%の面積で行われた(とっても狭い地域)。

 

殆どの農耕民は貧しく、苦労していた。農業革命は史上最大の詐欺。

なぜなら、栽培化は単一の品種に頼っていたので、その年の気候次第で収穫は激変したから。多種多様な食料を採集していた狩猟採集民に比べてとても不安定だった。

そして、単位面積あたりの収穫量は狩猟採集時代よりも増えたが、増えたら増えたで想定外の問題も起きた。穀物倉庫を盗賊に略奪されたり、食料増加による人口爆発し、慢性的な食料不足が続いた。

 

定住地の証拠があがっている

紀元前12500年から紀元前9500年にかけて中東のレヴァント地方でナトゥーフ文化が栄えた。ナトゥーフ人たちは永続的な定住が見られた。狩猟採集民でありつつ、小麦を挽くためのすりこぎや石臼。小麦を刈り取るための石や鎌なども持っていた。

中東のエリコなどの地域で定住地跡がいくつも見つかっている。

 

定住するには衛生面で問題もあり、乳幼児の死亡率も高かった。そのため多産となり余剰食糧によって、ますます人口が増えた。

いっこうに生活は楽にはならなかった。

 

 

楽な生活を求めて農耕牧畜化へ移行したのではない説が有力

ギョベクリ・テペの遺跡からわかること

まず、神殿が建設され、その後に村落が周りに形成されたことがギョベクリ・テペの遺跡から分かるらしい。

トルコ南東部にこの遺跡はある。

巨大な記念碑的な建造物の数々が発掘された。

紀元前9500年頃の話である。

 

イギリスのストーンヘンジ

これと似たようなものでイギリスのストーンヘンジがある。これは紀元前2500年のもの。これは発展した農耕社会が建造したもの。紀元前9500年の遺跡ギョベクリ・テペと比べるとストーンヘンジは大分最近の話である。

ストーンヘンジは農耕社会が建てた神殿。ギョベクリ・テペは狩猟採集民が建てた神殿。全く意味あいが違うらしい。狩猟採集民が巨大な神殿を建てていたということが、すでに信仰心があり巨大な神殿を建てるだけの価値があるとその当時の狩猟採集民は思っていたし、多くの部族間で協力しあわなければこれだけ巨大な神殿は作ることはできなかったことが、その遺跡から分かるらしい。

 

そこには複雑なイデオロギー的体制があったとしか思えないらしい。

そしてなんとギョベクリ・テペ遺跡の近く(約30km)から栽培化された小麦が見つかったとのこと。

 

このことから、余剰食糧によって人口が増え、そして富裕層(支配者層)が誕生したのではなく、大きな神殿を建てるのにたくさんの労働力が必要だったから、小麦を栽培化したと考えるほうが自然らしい。農耕社会へ移行したもう一つの説ですね。はじめに(狩猟採集民の間に)宗教=虚構ありき。

 

まとめると 農村が先?☓ →記念碑的建造物群が先?○

よりよい生活を求めて改良していった結果、農耕社会が発達したのではないということ。

→これは驚きである。

 

最初にギョベクリ・テペに記念碑的建造物群を建築し、使用した人々を養うために小麦の栽培化、家畜化が行われた。

 

つまりは最初に神殿が建築され、その周りに村落が形成されていった。

 

→へー、そういうことだったのね。

→「神殿から始まり、街が興った」可能性を示しているということ。つまりは今までの余剰食糧によって街が興り神殿が建った説は覆されるかもということ。

→つまりはギョベクリ・テペは虚構の物語(宗教)によって大規模協力を可能にした、歴史上最古の遺跡。筆者は、だがしかし、農耕牧畜化によって生活が困窮してもなお虚構(宗教)を信じ続けた人類史上最古の遺跡だと言っているように感じた。

→だから、農業革命は虚構を信じるあまり、狩猟採集時代よりも一般の農耕民はメチャクチャ貧困だったのに、農耕を続けた。このことを史上最大の詐欺と筆者は言っていたのであろう。

→ここのところ理解がとても難しかったが、たぶんそういうことと受け取った。

 

→みんなが虚構(宗教)を信じればそれは「一人が違う」といったところで、それは覆されないのである。農耕生活が貧しいからといって狩猟採集時代に戻ってないのが良い証拠だ。

 

ギョベクリ・テペのスゴさを紹介

ちなみにこの書籍サピエンス全史では、サラッとしか触れられてないけど、すごい遺跡なんです。私、この本で初めてギョベクリ・テペを知りました。

サライの記事です。

ワールド空港の記事です。

これによると、あのエジプトのギザのピラミッドよりも7000年も前の神殿らしいです。

でもって、農耕社会になる前から、実は宗教はあったという証拠になる遺跡だとのこと。

そして狩猟社会でも大きな社会を維持するために宗教は使われたと。

このサピエンス全史で言うところの「宗教」=「虚構」です。

 

単純に年代別に整理してみるとこんな感じです。

4560年前  ギザのピラミッド エジプト

4600年前  モヘンジョダロ  パキスタン

5000年前  ストーンヘンジ  イギリス

5000年前  山内丸山遺跡   青森県

6100年前  シュメール    メソポタミア

12000年前  ギョベクリ・テペ  トルコ

 

ギョベクリ・テペの遺跡が桁外れに古いことがわかりますよね。

シュメールのアヌンナキが人類を創造したとか、都市伝説ではいわれていますけど、遥かそれより、6000年も前に巨石による神殿が作られていたという。全くもってこれはロマンです。自分たちが中学の頃習った世界4大文明なんて、今や世界最古でもなんでもありません。

 

ひとまず、今日はここまで

文字数が3000文字を超えてしまいました。

まだ本題の「国、数字、貨幣、宗教」まできていませんが、続きは次回にします。

 

あまりにもギョベクリ・テペの遺跡のところではなしが長くなってしまいました。

 

まとめますと、

農業革命は史上最大の詐欺。なぜなら虚構を皆が信じたために、狩猟採集時代よりも一般の農耕民が貧困になっても、なお農耕を続けた。そして、虚構により大きな社会が維持され続けた。それによって、余剰作物によって富裕層が生まれ、狩猟採集時代のように自由に土地を移動できないので土地を守らないといけない。土地を守るためコミュニティが生まれ、麦(貨幣)交換が始まり、国ができ、税の徴収などで記録することが必要になり、数字が生まれたという。

そういったお話を、もう少し気が付いた点などあれば次の記事でお話します。

 

ということで今日はここまでです。

完璧主義より、完了主義でまいります。

 

今日も最後まで読んで下さいましてあいがとうございます。

それでは。

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